ペトロマックスのランタン
昔から変わらない形の、ドイツの古典的なランタン。
それでも、日が暮れたら、 薪を燃やして灯りを灯す…、
それに比べたら、このランタン は随分と進化した形だと思う。
夏のキャンプでは、明るい灯火に虫が寄って来るので、
テーブルにはベイビースペシャル276のような淡い光を置いて、
ランタンスタンドにこのHK500を引っ掛けておくという使い方が良いと思う。
加圧式のランタンにはホワイトガソリンを使うコールマンのランタンがメジャーだけど、
このHK500の燃料は灯油を使う。
気化しにくい灯油をガス状にしてマントルに吹き付けるために、
加熱不十分だったりすれば、トップカバーが火だるまになってすぐに炎上してしまう。
そんなHK500だけど、
何度も分解して、正しい扱い方を探してきた今となっては、
ランタンを灯すのも分解していじるのも、楽しいと感じられる。
シュゴーっと音をたてて灯るランタンは、LEDにない存在感と扱う楽しみがある。
石油ストーブという選択
朝晩が少し肌寒くなってきたので、ストーブを試運転している。
藤沢という街は温暖な土地柄で、普通ならエアコンの暖房さえあれば事足りる。
しかし、こんなもの使ってるのは、それなりに便利だと思ってるから。
電気のいらない生活。
便利さのために捨ててしまった習慣をもう一度取り戻してみる。
忘れてしまった何かがけっこう大事だったんだって、すこし思う。
LANDCRUISER 77というくるま
LANDCRUISER 良い名前だと思う。
どこか地球上の未知の世界に走って行ける。そんなイメージが湧いてくる。
車の免許を取得した頃は、日本は好景気で、まだバブルという名も無い時代だったと思う。今より荒削りで、いろんな事に勢いがあった。
そんな頃だったから、今風のSUVという呼び方もなく、この手の車は四輪駆動車とか、ジープとか言われていた。自動車の多くは後輪駆動車で、コンパクトな車は前輪駆動が多かったと思う。カローラもセリカも後輪駆動だった。
どこかでそんな四輪駆動車を見かけたのだろうか、いつからかそういう車に乗ってみたいと思うようになったのかも知れない。2ドアクーペというより、ガラガラ音を立てて走る、四輪駆動車に憧れを抱いていたように思う。
そのうち、空前のスキーブームに巻き込まれて、毎週のように雪山に出かけたりしていた。そんな頃、渋滞の高速道路でよく見かける車は、ハイラックスサーフやパジェロ、ビックホーンと言ったスタイリッシュな4WDで、世間の若者の間でもだんだんと憧れの車として認識されるようになってゆく。この頃は『ヨンク』という呼び方が普通だったと思う。
多くはオーバーフェンダー付きで、タイヤはゴツくて太く、車高は少しリフトアップするのがカッコ良いとされた。上級モデルはグリーンやブルーのツートンの設定があって、33ナンバーのオートマチックが主流になっていった。ファミリアやセリカのような2ドア車にもフルタイム4WDの設定が登場し、だんだんとワークホースとしての四輪駆動車は忘れられてゆくようだった。
バブルがはじけ、その後長く続く不況の時代になって、そんな頃に僕は、当時乗っていたJW11ジムニーからランクル77に乗り換ようと思った。
ジムニーですっかり四輪駆動車の素晴らしさにハマって、憧れのランドクルーザー、これしかないと思っていたから。
満を持して神奈川トヨタの店に行くと、僕は遠慮がちに「ランクル欲しいんです。」と言った。
プラドですか?と言いながら、勝手にパンフレットを取ろうとする店員。
当時のプラドはランクル70をベースにハイラックスサーフの駆動系とコイルリジットの足回りに換装された、言わば「格下」のランクルだった。
地球の果てに…と言うより、
それは、週末のスキーやサーフィンに快適な装備満載と言う点で、すでに違う方向に歩き始めた、オシャレな弟分だった。
違います、プラドじゃありません!と言うと、やや訝しげに「あっ、80ですか?」と返して来た。80は今の200系に続く、高級車路線のランクル。
違います、バンです。ワゴンじゃなくて77のバンです!と言うと、バンですか、すみませんでした。いやぁ、これは乗り心地悪いですよ、それに展示車がないんですが……、
と、延々と話しているので、車、売りたくないのかよ。と、思うほどだった。
Casitaというトレーラー
Casitaがうちに来て、もうすぐ最初の車検になる。
Casitaというのはアメリカのテキサス州でつくられたキャンピングトレーラー で、
鎌倉にある、トランキルグローブが日本の代理店となっている。
16ftという長さは日本の事情には丁度よく、このトレーラーを購入するにあたって、
幅5mの駐車場を敷地に作って、横に2台停めている。
自宅に面した道路は4tトラックも難なく入ってこれるくらいで、乗用車のすれ違いもなんとか出来るというくらいの幅があるので、問題はなかった。
しかし、国道のバイパスにつながる裏道になっていてわりと車が通るので、車庫入れのたびに車が来ないかそれが気になっている。
一度バックして車庫入れを始めると2度、3度と位置を修正したりして、そんなことしているうちに車が来てしまう事もある。位置が決まってしまえば、切り離しには1分もあれば大丈夫なので、申し訳ないけれども、その時は構わず切り離し作業をさせてもらう事にしている。
なぜトレーラーなのかと言えば、牽引車のランドクルーザー70が気に入っているからで、もうかれこれ20年になるのだけど、こんな車に乗っているとトレーラーを牽くのが夢になっていた。地球のどんなところでも走って行けるような車だけれど、残念ながらこの車が走る道の殆どは日本の舗装された道路で、言ってしまえば、こんな四輪駆動車が好きだから乗っているとしか言いようがない。
Casitaは乗用車でも引っ張ることができるみたいだけれど、こんな四輪駆動車かアメリカのピックアップトラックが相応しいと思う。
キャンピングトレーラー には大きくヨーロッパのものとアメリカのものがあり、それぞれ設計思想が異なっている。
アメリカのそれは連結するためのトレーラーヒッチに掛かる重さが大きい。
なので、Draw-Tite社のヒッチメンバーを使用している。これは約2tまでのトレーラーと180kgのヒッチ荷重に耐える表示があるけど、それでもヒッチメンバーの一部が少しだけ歪んでいる。Casitaは自重1tぐらいしか無いと思うけれど、車には結構ストレスがかかっているかも知れない。
そんなこんなで、家にとめておいてもしょうがないので、出来るだけ引っ張ってゆくようにしている。
すると、旅のスタイルがおおきく変った。ゆっくりゆっくりと走っては、サービスエリアや道の駅で休憩する頻度が多くなった。高速道路を走っても70km/hぐらいが丁度よく、国道をトコトコ走る事も多い。国道1号なら、箱根を超えて浜名湖の先ぐらいまで走り、伊勢湾岸道の刈谷PAで寝てしまう。富士五湖を越えて松本から日本海を経由しても良い。目的地まで最短で結ぶ旅ではなく、どちらかと言えば青春18切符で行く、普通列車の旅と言った所だろうか。
ゆっくりなので、いろんな場所に立ち寄って、食べるものが楽しみになる。点と点がいくつもの線になって日本列島という面になって行けば良いと思う。もうそうなると、旅のスタイルと言うより人生のスタイルで、たとえそれが伊豆までの短い旅であっても、もうCasitaなしでは何か落ち着かなくて、物足りなさを感じてしまうようになってしまった。